米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

天国言葉

みなさんは、斎藤一人さんという方をご存知でしょうか?


わたしは、東洋鍼灸院の処方で本やCDを出されて初めて知りました。

この方の会社、銀座まるかんスリムドカンは、その昔友達が飲み続けて痩せたので、その商品の名前は知ってましたが、その創業者の斎藤一人さんのお話は、わたしの生き方を変えて、勉強になったものとしても大きなウェイトを占めてるんじゃないかと思っています。


タイトルにも書いた、

『天国言葉』


はじめに知ったのは、

''地球が天国になる話''の中に出てきたものでした。


流れ的に、

地球が天国になる話のことを先に書いてから天国言葉の話をしようかと思ったのですが、


今日たまたま友達と話していた中で

ここ数年で知り合い、仲良くなった友達(とっても明るく、元気いっぱいの子)が、

「わたし(友達)は昔はネガティブなことばっかり言う人だった。ポジティブな言葉を話すようになったのはえっちゃん(私)に教えてもらった」


と、なんともまぁ嬉しいことを言ってもらってね♡(ほんと、感激だった!)


わたしも、昔はそうじゃなかった、ネガティブなことばっかり考えたり言ってたもんなぁ・・と思い出したので、こっちを先に書くことにしました!


では、本題に戻ります。


診察を続けていくうちに、

自分を誤魔化したり、自分を低くみたりすることに慣れていたわたし。


思考も、また口から発する言葉も、

マイナスな事ばかりでした。


それが当たり前だったし、

習慣化してたんですよね。

それしか知らなかった。


そんなわたしに出された処方が

「この天国言葉を言う」

でした。


ここまで来て、

「天国言葉って何?」

って思いますよね 笑


これです

↓↓↓↓↓↓↓


愛してます

ついてる

うれしい

楽しい

感謝してます

しあわせ

ありがとう

許します


この言葉を呪文の様に

何回も何回も唱えるんです。


一人さんのオリジナルには

愛してます

は無かったかな?

なんか、先生がOリングで測って、愛の波動が出るには?って色々オリジナルで付け足したりしてましたから

(ついでに言うと、言葉だけじゃなく、''ある運動''をしながらこの言葉を言うと、オキシトシンって愛のホルモンが出るからって、鍼灸院界隈で大流行(つまり、患者全員処方された 笑)してました)


とにかく、

この言葉を何十回も、何百回も言う


という処方 笑

(薬で一時的に症状を消すってものではなく、自分を変えるきっかけをくれるって処方は、本を処方するだけじゃなく、こういう行動が処方だったりするっていうのは、今思っても「何てユニークなんだ!!」って楽しい気持ちになります♪)


なんかね、

ほんと身体と心とは素直なもので、

言ってみると、涙がでたり、安心したり、心に栄養を充電していく作業って感じなんです。


あ、これも言っとかなきゃです。


反対に

『地獄言葉』

ってのがあって、


それは、


不平、不満

愚痴

泣き言


などを指します。


そう、

わたしの思考や言動は

この地獄言葉だらけだったわけです 笑


来る日も来る日も言えという処方。


処方では主に、

オキシトシン(愛のホルモン)

ノルアドレナリン(イライラのホルモン)

などを中心に

色々測られますから、


サボるとバレるんです 笑


もちろん、足りないと、どうしたらオキシトシンが出るかな?って、本を出したり、天国言葉を言う時間を決められたりするんですが。

あ、誤解のない様に言っておきますが、診察は自分で望んで予約を入れて行ってます。

おどかすような事を言って診察に通わせる様な人ではなかったので。''依存させない''ってのをすごく先生は気をつけてくれてました。


だから、診察さえ行けば大丈夫

と、処方をやらなかったり、

先生に何とかしてもらおうと依存しようとしたり、

機嫌悪くして、機嫌をとってもらおうとすると

「もう来なくていいよ」

とか、

「東洋(鍼灸院)出禁ね」

とか言われたりしたもんです 笑


わたしは、

出禁だけは困るので 笑

(当時、こんな安心できる場はなかったし、ほかにどうやって生きていく方法を教えてくれる存在がなかったから)


「米田さん、出禁ね」

と言われると、途端に素直になり 笑


(変なホルモンとか、依存の気持ちが)はい、とれました!」


と測られながら、

ようやく処方に合うものを教えてもらえる

なんて、こともありました 笑


ほんと、先生は大勢の子供を自立に導く

まさに「先生」な人でした!


こうやって、

知ってはいるけど口に出すのに慣れていない言葉を何度も何度も、何年にも渡って言い続ける日々がはじまるのです。