余談ですが、現在のわたしと両親
ここまで書き進めた両親とのこと。
すんごくざっくり言うと、
『親に本音が言えず苦しんでいた』
ってことです。
いい子にしてないと褒めてもらえなかった
嬉しかったことを一緒に喜んでもらえなかった(むしろ、がっかりされたり、そんな好きなことばっかりしていたら将来大変になると怒られたり)
そんな経験をして、
本来の自分は駄目な奴なんだ
と、自分の存在否定をする「勘違い」をしていたわけです。
ただ、厄介なのが、
そんな事を常に考えていたら心が砕けてしまうので
「心の奥のおくーの方にしまいこんでいた」
という状態。
そんな状態では
何をやっても
いや、こんなわたし(親も認めない、価値のないようなわたし)がそんなことをしてはいけない
どうしよう、しあわせになったら、あの大変な思いをして生きてる両親に申し訳ない
と、心の奥に居座る裁判官みたいな奴に裁かれ続ける毎日
・・・そら、しんどい 笑
もう一度言いますが、
全ては「勘違い」や「誤魔化し」
つまり、「真実ではない」
もっというと、「嘘」
なんです 笑
現実を受け入れるためにこしらえた「嘘」。
それでなんとか気が紛れたことがあった。
でも、その嘘の色眼鏡をかけた状態で世の中を見てるから
なんかおかしいし、
なんでも怖いんです。
自分の人生を、ホラームービー仕立てにしてる
(ホラー嫌いなくせに 笑)
つまりは
『自作自演』
なのです。
で、縁を切ろうとしてみたり、長い手紙を送りつけたりしたわたしですが 笑
過去の整理をしたはいいものの、
生き方がわからないし、
自分は価値ある人間だと仮定したとして、
じゃあ、わたしはどんな人なの?
(今まで隠しすぎてよくわからなくなってる)
ということで、
生き方を治す、
生き方治しの診察が続くのです
(当時の鍼灸院にも「病治しは生き方治し」なんて看板に書かれてました)
次からは、
自分の今まで知らなかった生き方
自分で忘れたフリしていた自分というものの個性
を学ぶのに印象深かった診察での処方について
展示していきますね。
あ!タイトルと内容が一致してない 笑
(今、投稿しようとして、気がつきました 笑)
しばらく疎遠だった両親とは、
ほんと気がついたら時々電話で話したりする間柄になっていた、といった感じです。
年始、誕生日、新米がとれる頃
なんてのに母親から荷物が届き、電話でお礼をいうがてら話したり
一時期は結構短いスパンで、朝、父親から電話がかかってきてる時期もありました。
(色んな話をしてもらい、父親は怖いというだけで、わたしはなーんにもこの人の事を知らなかったんだなぁ・・と思いました。知るごとに尊敬が深まっていきます)
わたしの年齢があがった事もあるとは思いますが、人対人というのかな、「親子だから」ってしばりを置いといて会話ができるようになり、非常にユニークな方たちで、
わたしが両親として選んだのは
面白さ重視なのか?!
と、時々思います 笑