ペイフォワード 許しの時
みなさんは、「ペイフォワード」って映画をご存知ですか?
主人公の少年が、学校で課題を出される
「もし、あなたが世界を変えられるとしたら、何をしますか」
その問いに、彼が出した答えが
「ペイフォワード」
自分が受けた善意を、与えた人に返すのではなく、他の3人に渡す
その時に、それぞれにも
受けた善意を与えた人に返すのではなく、他の3人に渡すように伝える
を続けていくと
世界は変わるかもしれない
というものを中心にストーリーが展開していくおはなし。
(当時のわたしの界隈でも、「恩返し」ではなく、「恩送り」なんて言葉で流行ってました)
その映画を、
友達と大勢でみたり、1人でみたり
何度か気になるタイミングでみていたんですが、
ある夜、またふと気になり1人で観てみたわけ。
で、ストーリーの中の主人公の少年の母親が
息子の考えたそのペイフォワードをするなら・・と考え、大っ嫌いな母親を許す場面
を観た時、何故かわからないけど
『わたしも、母を許そう』
と心が定まったんです。
何故かわからないけど、
突然だったけど、
心の奥のブレないところで
何かがガチャンとはまるような感覚
沖縄に来るまでは友達のように仲良く大好きだと思っていた母。
鍼灸院に通い、実は自分の心の中にたくさんたくさん母親に対して我慢していたことを隠し持っていたことに気づき、
こんな苦しい思いをさせた母親をずっと許せずにいたんです。
''あの母親のせいで''
深い悲しみと、怒りがわたしにはあった。
時にそれは必要なので、それを持つこと自体を悪いとは思いませんが、
当時のわたしは、
わたしを生んでくれた存在に対して
その様な感情を持つ自分自身を許せないでもいた。
にも関わらず、
あっさりと
その恨みのような思いから
解放されたんです。
(今思ったのですが、そうやって「許す」という方法がわからなかっただけなのかも。映画の中で、主人公の母親が、自分の母親を許すのを観たことで、わたしは「許す」って行動を学んだのかもしれないなー、と思います)
で、びっくりなのが
その
「わたしもお母さんを許そう」
と決めた瞬間、
母親から電話がかかってきたんです 笑
普通に雑談だけの電話。
(お母さんへの手紙や、父の緊急来沖からは時間が経過していて、この頃にはもう、少しぎこちなさはあれど、連絡は取り合うようになりつつあった時期)
ほんと、なんてことはない会話だけをしたんですが
一旦許しを決めた後のわたしの心はすっきりしていて
真水を飲むような、雑味みたいな余計なものがない感じ、って何かわかります?笑
そんなすっきりして、どこか心地いい時間だった感覚は覚えています。
それにしても面白いのは
人間のすごさ。
目に見えないところのセンサーみたいのは
きっと誰でもあるんじゃないか
って思うんです。
家族と縁を切ると行動したその日に初めてわたしの携帯に電話をかけてきた父親、
母を許そうと決めた瞬間に電話をかけてきた母親。
''虫の知らせ''
なんて日本語もあるけど、
あまりにもドンピシャなタイミングで連絡くるなんていまだに思い出してもびっくりします 笑
わたしの人生が、
わたしに経験を通して
そういう感覚を思い出すように仕掛けているのかなぁ?
なんて、思います。
ちょっと話はそれましたが 笑
この
母親を許す
ということは、
わたしにとって大きな変化の1つだったのです。