米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

【特別展示】 何故、ブログをはじめたか

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うちは博物館なので、

わたしの成長ストーリーや、過去のことを展示してますが、

ちょっと今の私からの伝えたいことなので「特別展示」とさせて頂きます  (館長より)

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ここ数年、色んなことが起きて

世界中、色んなことが起きています

(これまでもあった訳だけど、そこは置いといて)


明らかにおかしい事に人々が従い、

明らかにおかしい事に目を向けず、耳を傾けず


誰かがどうにかしてくれる

とか、

私なんてどうせ・・

とか

やってる場合じゃないんですよ。


私もかつてはそうだった。

共依存野郎で、

劣等感まみれで、

色んな事が怖かった。


でも、それは

自分自身に嘘をつき、

誤魔化し、

現実から目をそらし、聞こえないフリをしていただけだった。


ゆくゆく書くかもしれませんが、

このブログで紹介している鍼灸院(院長も他界され、今はありません)も、

自分から卒業しました。

要するに、行かなくなりました。


先生に依存していつまでも通うつもりの人もいたし、

そこに通っている、先生と親しくしていたり、近しいということにある種の優越感を感じ、マウント取られる方もいた。

でも、私は、ある程度自分を取り戻した時点で、自分の人生を失敗しながらでも歩いていかなきゃ、生きる意味がない

と思っての卒業だったんです。


「自分で考える」

「自分の意見(本音・本心)を言う」

それを出来ないフリをして生きている人の

何と多いことか。

(責めてませんよ、ただ現状を説明しています)


ただ、やり方を知らない。


そうかもしれませんが、

今ほど、おかしい事が明らかにおかしいと思いやすい時期もないんじゃないかと思います。

あからさまに「え?」と思うことだらけです。


私は自分を取り戻すのに10年近くかかりました。

多分、みなさんより時間がかかるタチなんじゃないかと思います。

だから、沖縄に来て、鍼灸院に出会って

っていう人生の成長のシナリオが用意されていたのかもしれません。


鍼灸院を卒業して10年近く経ちますが、

例えば診察に通い続ける真っ最中の15年くらい前に

ここで展示する内容を周りに伝えたところで

''変なことにハマっている''

と、鼻で笑われるのがほとんどでした。

(もちろんそうでもない人もいますよ。ちゃんと心通う会話ができる人が何人もいます。)


でも、今の大変な時代、

(大変って「大きく」「変わる」時ってことです)


いまだに自分に嘘ついてたら

真実は見えません。


だって、見ようとしてないんだから。


本当の自分に気づいてあげること、


わぁ!こんな恥ずかしいことやってたのか!

とか、

わぁ!私ってこんな素晴らしかったのか!


それをちゃんと受け止めないと、

真実を見抜けません。


周りの誰だれがどうだからさぁ・・

とか、

あの芸能人、○○なんだって・・

とか、

あなた、その芸能人の友達なんですか?

どうでもよくないですか?


真実は怖いですか?

自分を知るのは怖いですか?


人は、本当に「やってしまった!」と受け止めたら、もうやりませんよ

(元々おっちょこちょいとかそういう事じゃないですよ、自分が優位に立つ為にやったズルい事とかそういう事です)


自分の本当の素晴らしさや愛らしさに気づいたら、自分の事が愛おしくてたまらなくなりますよ。

そして、そんな愛しい自分にひどい事はできなくなります。


1つ前のブログで紹介した

「劣等感」の話。


真実に目をそらしていた人には

耳に入らないでしょう。

(タイミングもあると思います)

是非、手に取って、CDかYouTubeでも探せば音源あるかもしれない

何度も何度も聴いてみてください。


少しずつ聞こえるようになると思います。


別にこの本じゃなくてもいい。


あなたがあなたに気づく為の行動をして欲しい。


真実を共に生きたい!

だって、真実はシンプルで、愉快なものだから。


このブログが

そんな「なんかおかしいけど、どうしたらいいんだろう?」

って人の目にとまって


励ましになったり、

1つの情報となるって意味での手助けができればいいと思い、

書いています☺️


だってさー!

もう鍼灸院ないんだもーん!笑


もし、そんな相談されたら

「いいとこ知ってるよ」

って紹介できたけど、

もうなくなっちゃったんだもん!笑


でも、

私が鍼灸院で学んだことって

すごくよかったんだよね。


それが

「あぁそんなのあったねー」

で無くなるのはもったいない!笑


だったら、

そこに通い続けて

変わった私の経験を書いてみればいい


と、思ったんだよね☺️


気づいたら、だいぶフランクな物言いになってますが 笑


ま、それでもいいかな?

うん、むしろ、これからはそうしてみようかな?


なんて、思いながら、

今、指を動かしています❤️


真実は怖くないよ。

見ないふりしてる方がよっぽど怖い 笑


見えないものって

「アレ、何だろ?」

って不安じゃないですか!


でも近づいて見てみたら

「なーんだ!ただの木目(もくめ)じゃーん!」

ってなるでしょ 笑


木目に怖がっていた自分・・

かなり滑稽です 笑

これがクスっとでも笑えたらこっちのもんです!笑


そうやって、軽やかに自分を取り戻してみてください。


世の中がシンプルに見えた時、

今まで見えなかったことがすっきりすると思います。


その上で、どうしていこうか?


一緒に話してみたいなぁ❤️

なんて思います☺️


では、また❤️













地球が天国になる話

久しぶりの投稿です☺️


さて、

2つ前の記事にした「天国言葉」の中でも

チラッとでてきた今回のタイトル、

『地球が天国になる話』


色んなお話や、著書を出されている斎藤一人さんのお話の中でも、

これが一番大切というか、

重要なんじゃないか

って思うのがこのタイトルの本。

(私は付属されてるCDがおススメです、実際、東洋鍼灸院でもCDを処方されました)


これはどんな話かとざっくりいうと、

『劣等感』

の話。


劣等感をなくす、それが今世の修行なんだよ、

って一人さんは言います。


「劣等感」は「恐れ」

「恐れ」は「嘘」なんだよ

ってね。


(いきなり確信に迫ってます 笑  詳しくはご自身で購入して確かめてみてください 笑)


私、処方でも

「地球が天国〜」のCDを○○回聴く

なんてのがあり、

何回も何回も聴きました。


はじめはよく理解できなかったんですが、

自分の診察で自分と向き合い続けていくうちに

だんだんと「あぁ!そういうことだったのか!」とわかるようになっていきました。


「劣等感」を見抜く、

そして、

愚痴・泣き言などの地獄言葉を、天国言葉に変える

それだけで地球が天国になるんだ


そう話されていたはずです 笑

(うる覚えですいません 笑)


自分の中にある劣等感、気づいてますか?


あー、どうせわたしなんて・・

と嘆いてみたり 笑


あれはああで、こうなのに・・

といつまでもネチネチやってみたり 笑


なんでこんなことするんだー!

と人前で部下を怒鳴ってみたり 笑


それ、みんな劣等感ですよー ☺️❤️


「あ、わたし、これ、ただ劣等感でそう思ってるんだ」

「あぁ、あの人、劣等感であんな風に言っちゃってるんだ」


そうやって1つ1つ見抜く


そしたら、

ガミガミ言ったり、ネチネチ言ってる人がいても怖くもなんともない 笑


あ!劣等感だ!

あ、そっか劣等感ってことは、この人は恐れてるんだ!

恐れは嘘だから・・つまり、これはただのハッタリじゃーん♪


って見抜いちゃえばこっちのもんです 笑


案外、見抜いている人に対してはやってこないですよ 笑😉


あ、ちなみに、

あ、Bさん、またAさんをいじめて・・

Aさん可哀想・・


なんて思わなくていいんです。


だって、あれは単に

「劣等感があって強い」Bさんが、「劣等感があって弱い」Aさんをいじめてるの。


お互い、自分の劣等感を成り立たせる為にやってる。いわば、相思相愛なんです☺️


そうやって周りが自分の為に何かをしてくれたっていう過去の成功体験をいまだにグッと握りしめて、

それをやってんですよ。


もっとわかりやすく言うと、

いい大人がブスーっと無愛想に偉そうにしてる奴がいるわけ。

それって、子供の時にお母さんに対してふくれっ面で拗ねてた時とおんなじことをいまだにやってる、ってこと。

お母さんはそんなあなたの話を優しく聞いてくれたのかな? 笑

言っとくけど、私はあなたのお母さんじゃないですよー!

ってこと。


あー、見ているこっちが恥ずかしい 笑


接客しているとクレーマーに当たることがありますが、あれだってただの八つ当たりか、劣等感があって自分は不当に扱われてると過剰に思っちゃってるから怒ってるんですよ。

スーパーのお菓子コーナーなんかで

「買ってよー!」と座り込んで駄々こねてる子供と一緒です 笑


自分に対して怒鳴られてるんだ!!どうしよう!!

とか思います?

相手はいつもイライラしてる。

東北地方のナマハゲ状態ですよ

「わるいごはいねーがー(悪い子はいないか)」

って、自分の劣等感を証明する人を探してるんです(さっきも言った様に、劣等感は「嘘」だから、自分を誤魔化し続ける為に(本音を隠し続ける為に) 周りに八つ当たりしてるだけ」


こんなの怖くもなんともない 笑

スーパーで座りこんでだだこねてる子供見て

「あぁ!怖い!」

と思いますかね?


もっと言うと、

スーパーでいい大人がお菓子コーナーで

「これ買ってー!」

って座りこんでたら滑稽です 笑


良い・悪いの話をしているのではなく、

ただ単に

「滑稽ですね」

って話です。


それをやってる人が多い 笑


私もそんな1人でした。


鍼灸院に行っては

自分の見たくないところ(滑稽なさま)箇所にライトを照らされ、丸見えになる

というのをしてもらいに行っていたわけです 笑


今となっては笑い話ですが、

当時は、

ぎゅっと握りしめていた、大事にしていた「私の劣等感」を離したくなくて

(でも、心はもう止めてほしい)


不機嫌に診察受けていたら

「はい、米田さん、ここ(鍼灸院)には、あなたの機嫌をとってくれる人はいませんよ。

東洋(鍼灸院)、出禁ね」


なんて言われて、


私は信頼できて、かつ、当時の私以上に私を冷静にみてもらえる場所がそこしかないのだけはわかっていたので

「で、で、で、出禁だけは困る!」

と、気持ちが切り替わり 笑

「はい、素直になりましたね」


なんてやりとりもあったぐらいです 笑


地球が天国になる話

は、

自分にかえる

隠れてしまった本当の自分を見つけ出してあげる

最初の一歩なんじゃないか、と思います😊


そうやって、日々自分が自分についてる嘘を見抜きながら、

天国言葉で口癖を変えて、

手振りでエネルギーをあげていく


って感じかな❤️


あ、ちなみにですが、

自分の嘘に気づけると、

他人の嘘にも気づけるようになります。


先生に教えてもらった大切なことで、

「相手に劣等感を与えない」

ってことがあります

(確か、この「地球が天国〜」でも言ってたんじゃないかな)


誰だって、ほんとは不平・不満なんて言いたくないんだよ。

だから、相手の劣等感に付き合わない。

するとその間は相手はそれができないでしょ。

辛そうだから話を聞いてあげなきゃ、

じゃないの。

その劣等感がない時間って、相手を幸せにするってことだよ。


って。


もちろん、弱音吐いたっていいと思うし、

吐き出して楽になることは吐き出す時間はあってもいいと思いますが、


ただ、相手の劣等感(嘘)をちゃんと見抜いてあげるってことが、

人を幸せにするってことの1つでもあるんじゃないかと思います❤️


長くなりましたね☺️

今回は、ここまで。

ではまた❤️







手振り体操

ひとつ前の記事で紹介した

『天国言葉』


愛のホルモンといわれるオキシトシンが出る処方で

天国言葉とセットで処方されたのが

タイトルにした

『手振り体操』

です。


これは、故  船井幸雄さん(船井総研の創業者)が紹介されてたもので

(実際、DVDも拝見したことがあるんですが、朝礼の時に社員みんなでやっている、みたいな健康法)


言葉にして伝わるかわかりませんが


足を肩幅くらいに広げて立ち、

両手を前後に振る


というシンプルなもの。


この

『手振り体操をしながら、天国言葉を言う』

ってのが先生が編み出した「自分を愛で満たす方法」でした。


これ、やってみたらすごいんですが、

身体は足のつま先から何からポカポカするし、

何なら安心して涙は出るしで、最初の頃はもうすごい状態 笑

(ま、自分を否定し、不安だらけで生きていた中で急に安心したらそうなるわな、と今はわかりますが 笑)


少し解説すると、

先生がOリングで色々測りながらわかったのは、

この手振り体操は

赤ちゃんが癇癪起こしたり、駄々こねてるのとおんなじ状況なんだそうです。

(すごい発見!笑)


ほら、スーパーとか行って、お菓子コーナーとかで

「こーれー、買ってよー!!!」

って駄々こねて、何なら床に寝っ転がったりしてる子供いるでしょ

(最近はあまり見なくなった?気のせい?)


あれです 笑


大人になって、

床に転がって「○○してよー!」

はできないでしょ 笑


ま、実際に床には転がらなくても、

周りのせいにして機嫌悪くなったりしてる人いるじゃないですか


それ、やられると周りが迷惑なので、

自分で自分に癇癪おこして解決して、周りに八つ当たりすんなよ 


っていう事です 笑


もう一つ補足で言うと、

オキシトシンってのは、

先にも書きましたが''愛のホルモン''と呼ばれるもので、

お母さんが赤ちゃんに母乳あげてる時なんかにも出るホルモン

なんだそうです

(先生がそう教えてくれたんですが、この例え、すごくわかりやすいと思いました。あの母乳あげてる時間って、しあわせいっぱいで暖かな感じするじゃないですか、アレです、アレ)



色々誤解して生きてきた自分を

安心させてあげて、

自分で勝手に駄々こねて


要するに

『自分の機嫌は、自分でとりましょう』

って処方です 笑


そんなことをしたことなかった自分に

自分がよろこぶセルフケアの方法を

見事な組み合わせで処方してくれた先生、ほんとすごい!と思います♪


余談ですが、

わたしは全部自分でなんとかしなくてもいいかなって思ってます。


人は完璧じゃない。

それぞれに味があるもんだし、

色んな状況もある。


依存しない程度に

「あぁ!3分だけ愚痴らせて!」

とでも言って、友達に甘えたりする時があってもいいなぁ

って思ってます。


禁止ってしんどいですから♪


でも、信頼できる友達がいつまでもブスっとしてたら、

ちゃんと

「今、ブスになってるよ」

ってそっと教えてあげたらいいんじゃないかなって思います。

(「ブース!」とか煽るんじゃなくて、ですよ 笑  わたし、顔の造形(目が大きいだの小さいだの、鼻が高いだの低いだの)は、それぞれの持ち味であって、本来ブスっとしてる人を「ブス」と呼んでたんじゃないかと思ってます。だって、心から笑ってる人は美しいし、輝いてみえるから♡)


最近、みんな暗い顔で疲れがち、

わたしも明るさを忘れちゃったりすることがありました。


そんな折、たまたまSNS斎藤一人さんの話を書いてる方がいらっしゃって、この天国言葉と手振り体操を思い出したのでやってみたら、身体も心もスッキリしました。

今、また個人的に密かなブーム中です 笑


天国言葉

みなさんは、斎藤一人さんという方をご存知でしょうか?


わたしは、東洋鍼灸院の処方で本やCDを出されて初めて知りました。

この方の会社、銀座まるかんスリムドカンは、その昔友達が飲み続けて痩せたので、その商品の名前は知ってましたが、その創業者の斎藤一人さんのお話は、わたしの生き方を変えて、勉強になったものとしても大きなウェイトを占めてるんじゃないかと思っています。


タイトルにも書いた、

『天国言葉』


はじめに知ったのは、

''地球が天国になる話''の中に出てきたものでした。


流れ的に、

地球が天国になる話のことを先に書いてから天国言葉の話をしようかと思ったのですが、


今日たまたま友達と話していた中で

ここ数年で知り合い、仲良くなった友達(とっても明るく、元気いっぱいの子)が、

「わたし(友達)は昔はネガティブなことばっかり言う人だった。ポジティブな言葉を話すようになったのはえっちゃん(私)に教えてもらった」


と、なんともまぁ嬉しいことを言ってもらってね♡(ほんと、感激だった!)


わたしも、昔はそうじゃなかった、ネガティブなことばっかり考えたり言ってたもんなぁ・・と思い出したので、こっちを先に書くことにしました!


では、本題に戻ります。


診察を続けていくうちに、

自分を誤魔化したり、自分を低くみたりすることに慣れていたわたし。


思考も、また口から発する言葉も、

マイナスな事ばかりでした。


それが当たり前だったし、

習慣化してたんですよね。

それしか知らなかった。


そんなわたしに出された処方が

「この天国言葉を言う」

でした。


ここまで来て、

「天国言葉って何?」

って思いますよね 笑


これです

↓↓↓↓↓↓↓


愛してます

ついてる

うれしい

楽しい

感謝してます

しあわせ

ありがとう

許します


この言葉を呪文の様に

何回も何回も唱えるんです。


一人さんのオリジナルには

愛してます

は無かったかな?

なんか、先生がOリングで測って、愛の波動が出るには?って色々オリジナルで付け足したりしてましたから

(ついでに言うと、言葉だけじゃなく、''ある運動''をしながらこの言葉を言うと、オキシトシンって愛のホルモンが出るからって、鍼灸院界隈で大流行(つまり、患者全員処方された 笑)してました)


とにかく、

この言葉を何十回も、何百回も言う


という処方 笑

(薬で一時的に症状を消すってものではなく、自分を変えるきっかけをくれるって処方は、本を処方するだけじゃなく、こういう行動が処方だったりするっていうのは、今思っても「何てユニークなんだ!!」って楽しい気持ちになります♪)


なんかね、

ほんと身体と心とは素直なもので、

言ってみると、涙がでたり、安心したり、心に栄養を充電していく作業って感じなんです。


あ、これも言っとかなきゃです。


反対に

『地獄言葉』

ってのがあって、


それは、


不平、不満

愚痴

泣き言


などを指します。


そう、

わたしの思考や言動は

この地獄言葉だらけだったわけです 笑


来る日も来る日も言えという処方。


処方では主に、

オキシトシン(愛のホルモン)

ノルアドレナリン(イライラのホルモン)

などを中心に

色々測られますから、


サボるとバレるんです 笑


もちろん、足りないと、どうしたらオキシトシンが出るかな?って、本を出したり、天国言葉を言う時間を決められたりするんですが。

あ、誤解のない様に言っておきますが、診察は自分で望んで予約を入れて行ってます。

おどかすような事を言って診察に通わせる様な人ではなかったので。''依存させない''ってのをすごく先生は気をつけてくれてました。


だから、診察さえ行けば大丈夫

と、処方をやらなかったり、

先生に何とかしてもらおうと依存しようとしたり、

機嫌悪くして、機嫌をとってもらおうとすると

「もう来なくていいよ」

とか、

「東洋(鍼灸院)出禁ね」

とか言われたりしたもんです 笑


わたしは、

出禁だけは困るので 笑

(当時、こんな安心できる場はなかったし、ほかにどうやって生きていく方法を教えてくれる存在がなかったから)


「米田さん、出禁ね」

と言われると、途端に素直になり 笑


(変なホルモンとか、依存の気持ちが)はい、とれました!」


と測られながら、

ようやく処方に合うものを教えてもらえる

なんて、こともありました 笑


ほんと、先生は大勢の子供を自立に導く

まさに「先生」な人でした!


こうやって、

知ってはいるけど口に出すのに慣れていない言葉を何度も何度も、何年にも渡って言い続ける日々がはじまるのです。


ただしい人からたのしい人へ


Amazon



これは、故 小林正観(こばやし せいかん)さんの書かれた本です。

(先生は、正観さんと久高島に行ったり、詳しくは知りませんが交流もされていた様子です)



この本は、

診察の初期に処方され、

その後、何度も登場する本となりました。


内容は、タイトルまんまです 笑


た「だ」しい人から、た「の」しい人へ

たった一文字変えるだけで

全く生き方が変わるねーとうう


じゃあ、楽しい生き方って何?


ってのがわかりやすく書かれています。


初期に処方された時は、

心がほわっとほどける様な安堵を覚え


診察中期の頃には

「米田さん、学級委員長みたいやっさ。なんかいるでしょ、クラスの男子が遊んで掃除をちゃんとしていなかったりすると、それを先生に言いつけたり、道徳みたいな時間に問題として取り上げたりする人。

正しい人は、確かに正しいけど、

おれはそんな人と仲良くなろうとは思わんやっさ」


とか言われて、

ガーンとショックを受けたり 笑

(ま、そのショックがまた本を読むいいきっかけになるんですが 笑)



確かに正義感たっぷりの人って、おっかないです 笑

(と、今は笑えるようになりましたが)


あぁ!こうしなければならない!

またこんな事をした!なんて事だ!

と、

自分も周りも見張っていたら疲れますよね 笑


そうしがちなわたしにぴったりの本でした。


また、「常識」.という''架空のしがらみみたいなもの''を握りしめている方にもぴったりなんじゃないかと思うんです。


わたしがぐっときた本の中の章のタイトルは

『他人にウケのいい生き方よりも、自分にウケのいい生き方を』


です。


もう、読まずもがな、ですね 笑


はじめは

「たのしくならなきゃいけないんた!」

と鼻息荒く読んでましたが 笑


そのうち

「楽しく生きてもいいんだなぁ」

という許しになったりわ

「そうだよねー、楽しい方が面白いもんなぁ♡」

と、自分の本音を知ることができたりして、

自分に染み込んでいく本でした。




余談ですが、現在のわたしと両親

ここまで書き進めた両親とのこと。


すんごくざっくり言うと、


『親に本音が言えず苦しんでいた』

ってことです。


いい子にしてないと褒めてもらえなかった

嬉しかったことを一緒に喜んでもらえなかった(むしろ、がっかりされたり、そんな好きなことばっかりしていたら将来大変になると怒られたり)


そんな経験をして、

本来の自分は駄目な奴なんだ


と、自分の存在否定をする「勘違い」をしていたわけです。


ただ、厄介なのが、

そんな事を常に考えていたら心が砕けてしまうので


「心の奥のおくーの方にしまいこんでいた」


という状態。


そんな状態では

何をやっても


いや、こんなわたし(親も認めない、価値のないようなわたし)がそんなことをしてはいけない


どうしよう、しあわせになったら、あの大変な思いをして生きてる両親に申し訳ない


と、心の奥に居座る裁判官みたいな奴に裁かれ続ける毎日


・・・そら、しんどい 笑


もう一度言いますが、

全ては「勘違い」や「誤魔化し」

つまり、「真実ではない」

もっというと、「嘘」

なんです 笑


現実を受け入れるためにこしらえた「嘘」。


それでなんとか気が紛れたことがあった。


でも、その嘘の色眼鏡をかけた状態で世の中を見てるから


なんかおかしいし、

なんでも怖いんです。


自分の人生を、ホラームービー仕立てにしてる

(ホラー嫌いなくせに 笑)


つまりは

『自作自演』

なのです。



で、縁を切ろうとしてみたり、長い手紙を送りつけたりしたわたしですが 笑


過去の整理をしたはいいものの、

生き方がわからないし、


自分は価値ある人間だと仮定したとして、

じゃあ、わたしはどんな人なの?

(今まで隠しすぎてよくわからなくなってる)



ということで、

生き方を治す、

生き方治しの診察が続くのです

(当時の鍼灸院にも「病治しは生き方治し」なんて看板に書かれてました)


次からは、

自分の今まで知らなかった生き方

自分で忘れたフリしていた自分というものの個性

を学ぶのに印象深かった診察での処方について

展示していきますね。


あ!タイトルと内容が一致してない 笑

(今、投稿しようとして、気がつきました 笑)


しばらく疎遠だった両親とは、

ほんと気がついたら時々電話で話したりする間柄になっていた、といった感じです。


年始、誕生日、新米がとれる頃

なんてのに母親から荷物が届き、電話でお礼をいうがてら話したり


一時期は結構短いスパンで、朝、父親から電話がかかってきてる時期もありました。

(色んな話をしてもらい、父親は怖いというだけで、わたしはなーんにもこの人の事を知らなかったんだなぁ・・と思いました。知るごとに尊敬が深まっていきます)


わたしの年齢があがった事もあるとは思いますが、人対人というのかな、「親子だから」ってしばりを置いといて会話ができるようになり、非常にユニークな方たちで、


わたしが両親として選んだのは

面白さ重視なのか?!

と、時々思います 笑



ペイフォワード 許しの時

みなさんは、「ペイフォワード」って映画をご存知ですか?


主人公の少年が、学校で課題を出される

「もし、あなたが世界を変えられるとしたら、何をしますか」


その問いに、彼が出した答えが

「ペイフォワード」

自分が受けた善意を、与えた人に返すのではなく、他の3人に渡す


その時に、それぞれにも

受けた善意を与えた人に返すのではなく、他の3人に渡すように伝える


を続けていくと

世界は変わるかもしれない


というものを中心にストーリーが展開していくおはなし。

(当時のわたしの界隈でも、「恩返し」ではなく、「恩送り」なんて言葉で流行ってました)


その映画を、

友達と大勢でみたり、1人でみたり

何度か気になるタイミングでみていたんですが、


ある夜、またふと気になり1人で観てみたわけ。


で、ストーリーの中の主人公の少年の母親が

息子の考えたそのペイフォワードをするなら・・と考え、大っ嫌いな母親を許す場面


を観た時、何故かわからないけど


『わたしも、母を許そう』

と心が定まったんです。


何故かわからないけど、

突然だったけど、

心の奥のブレないところで

何かがガチャンとはまるような感覚


沖縄に来るまでは友達のように仲良く大好きだと思っていた母。

鍼灸院に通い、実は自分の心の中にたくさんたくさん母親に対して我慢していたことを隠し持っていたことに気づき、

こんな苦しい思いをさせた母親をずっと許せずにいたんです。


''あの母親のせいで''


深い悲しみと、怒りがわたしにはあった。


時にそれは必要なので、それを持つこと自体を悪いとは思いませんが、

当時のわたしは、

わたしを生んでくれた存在に対して

その様な感情を持つ自分自身を許せないでもいた。


にも関わらず、

あっさりと

その恨みのような思いから

解放されたんです。


(今思ったのですが、そうやって「許す」という方法がわからなかっただけなのかも。映画の中で、主人公の母親が、自分の母親を許すのを観たことで、わたしは「許す」って行動を学んだのかもしれないなー、と思います)


で、びっくりなのが


その

「わたしもお母さんを許そう」

と決めた瞬間、


母親から電話がかかってきたんです 笑


普通に雑談だけの電話。

(お母さんへの手紙や、父の緊急来沖からは時間が経過していて、この頃にはもう、少しぎこちなさはあれど、連絡は取り合うようになりつつあった時期)


ほんと、なんてことはない会話だけをしたんですが

一旦許しを決めた後のわたしの心はすっきりしていて

真水を飲むような、雑味みたいな余計なものがない感じ、って何かわかります?笑


そんなすっきりして、どこか心地いい時間だった感覚は覚えています。




それにしても面白いのは

人間のすごさ。


目に見えないところのセンサーみたいのは

きっと誰でもあるんじゃないか

って思うんです。


家族と縁を切ると行動したその日に初めてわたしの携帯に電話をかけてきた父親、


母を許そうと決めた瞬間に電話をかけてきた母親。


''虫の知らせ''

なんて日本語もあるけど、


あまりにもドンピシャなタイミングで連絡くるなんていまだに思い出してもびっくりします 笑


わたしの人生が、

わたしに経験を通して

そういう感覚を思い出すように仕掛けているのかなぁ?

なんて、思います。


ちょっと話はそれましたが 笑


この

母親を許す

ということは、

わたしにとって大きな変化の1つだったのです。