米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

衝撃の診察からの、おっきな愛 〜完結編

父親を呼び出すのは、観光客から地元の人でごった返す、観光地にあるスクランブル交差点前にあるコーヒーショップに決めた。


父親に電話をする

プルルル、プルルル

父「おい、どうしたんや?連絡がとれへんさかい、沖縄まで来たわ」

「うん、話したいから、これから言う所に来て」

そういって、場所を告げる

「タクシー乗って言えば、誰でもわかる場所だから」

父「いや、でも、あれやで。玄関鍵開けっぱなしになるで危ないで」

「いいから、大丈夫だから、アパートから出てあっちに行けばすぐ大通りに出るでしょ。あの道ならすぐタクシーつかまるから、来てね」


そう言って電話を切り、コーヒーを飲みながら父親を待った。


電話から10分ちょっとかな、すぐ父親が現れた。


沖縄の地で見る父親は、どこか少し弱々しく、小さな田舎のおじさんみたいだった。


「どうしたんや、いきなり。びっくりするがな」

と、いつもの調子で話し始める父。

「ええから、座って」

と、座ってもらう。

よく考えたら、こうやって2人っきりで街中で会うのは生まれて初めてだ。


そこからは、

わたしがそれまで父に対して抱いていた思いを話した。淡々と。


家にあまりおらず、話しても「アホやな」と話すだけで、ろくな会話もしたことないこと。


何かあるとすぐお金で解決しようとするのが嫌だったこと。


あなたの行いで家族は辛い思いをしてきたんだ、ということ。


父は静かに聞いていた。

言われた通りで、言い返すことはない、と。


そして、伝えた。


家族からあれこれ言われたりするのから離れたいから、わたしから連絡してくるまでは連絡しないで欲しい。

わたしは大丈夫だから、ほんとに大丈夫だから、連絡してこないで欲しい。

わたしから連絡するまで待っていて欲しい。


父は、わかった、と頷いた。


と、話したい事を全て伝えて、お互いに一息つく。


すると父親が

「で、今日はお前んとこ泊まってええんか」


(は? 今言うたやろ?

こいつ、わかってへんのか?)


今何時?

時間を確認してもらうと16時過ぎだったか、そのくらいだった。

父親に聞くと、飛行機のチケットは往復で買ってきたという。

「今すぐ空港に連絡して、この後何時の便があるか聞いて」


すぐ確認する父。

はっきり覚えてないが、1時間半から2時間後かに便があるという

「なら、それに乗って帰って。今すぐタクシー乗れば十分間に合うから」


そういって席を立った。

父はまさか日帰りとは・・という顔をしていたけど、反論はせずわたしについて来た。


スクランブル交差点に着くと、

ちょうど交差点を渡ったところに数台お客さん待ちのタクシーが停まっているのが見えた


「ほら、あれに乗って帰って」

と促すと、父がポケットから財布を取り出し、幾らかの札束を渡そうとしてきた


カッとなったわたしは 

「だから、それが嫌なんだって、今話したところでしょ!財布しまってよ!」


と言うと、父は静かに財布をしまい

一息ついてから両手を広げた

その瞬間、自然と父の胸に抱かれる自分がいた。 


商売人で、世間体を大事にする父

そんな父が、こんな人の多い場所で人目もはばからずに娘を抱きしめるなんて・・

嘘みたい・・


でも、わたしはずっとこうして欲しかったんだ・・・


父親のハグはとても温かくて、おっきくて、今までに味わったことのない安心感があった


わたしの記憶のある中ではじめての父のハグは、どこか懐かしいような感じもした。


しばらくハグしてもらうと、ちょうど歩行者信号が青に変わった


「ありがとう、さぁ、行って!」


父はすっかりいつも通りの父に戻っており、

信号を渡ってからもずっと

「ほんまに連絡せんでもええんか?お母さんが倒れても連絡せんでもええんか?」


とか大きい声で往生際の悪いことを言っていたけど、


わたしも

「わたしが連絡するまで連絡せんでええから」

と大声で返した


父はそのままタクシーに乗って帰って行った。



衝撃の診察からの、おっきな愛 ③

翌朝、とあるセミナーに向かう前に携帯を見ると、何十件もの履歴があった。


早く、先生に会いたい!


と、午後からあったとあるセミナーに参加し、会場で先生にも会い、ようやく気持ちも落ち着いてセミナーを受けた。


セミナー終わりに携帯を見ると、

もの凄い数の履歴と、少し前に退職した職場から、アパートを借りている不動産屋からの着信もあった。地元の友達からの着信もある。


とりあえず前の職場にかけてみる

すると、上司のYさんが出て

「米田さん、あなた、何やってるの?あなたのお父さんが○○市の営業所にやって来られて、あなたと連絡取れないからって話されて、そこの営業所からうちに連絡が入って・・こういうの困るのよ。なんたらかんたら・・」


とにかく一方的に、もの凄く怒られた。

とりあえず話だけ聞いて、電話を切る。


次は地元の友達からの留守電

「何か、米田ちゃんと連絡が取れんってお母さんから電話もらったよ。どうしたん?連絡してあげてね」


・・・あちこち連絡してるんや・・


で、最後に不動産屋さんからの留守電を聞くと、

「○○不動産の△△です。お父様がお見えになられて、米田様と連絡が取れないとのことでしたので、大家さんを呼んで鍵を開けて頂き、お父様がお部屋でお待ちになられています。お早くご帰宅されてくださいませ」


それを聞いて、再びパニックになる。

どうしよう、どうしよう

お父さんがわたしのアパートの部屋にいる・・


セミナー終わりにMさんとは合流したままだったのでそれを伝えると、Mさんも少し慌てたように先生の携帯に連絡してくれた

(Mさんは鍼灸院のスタッフなので、先生の個人携帯番号も知っていて助かった)


運転中だからちょっと待つよう言われ、先生からの連絡を待つ間

Mさんが隣で「米田ちゃん、大丈夫。わたしがかくまってあげるから。お父さんが帰るまでうちにいたらいいよ」

と言ってくれていたが、


父親からの留守電を聞いた時から、

父親と会って話さないとな・・

という気持ちがあった。


数分後、先生から折り返しの連絡が来た。

Mさんに電話を代わってもらう。


先生「お父さん、来たね」

「はい」

先生「・・ちゃんと会って、気持ち伝えられる?」

「先生・・わたしもそうした方がいいと思う」

(後ろでMさんは、どうかくまうか、逃げるか話している)


先生「・・よし、会って話しておいで。もしどうしようもならなくなったら、電話しておいで。僕が行って話すから。僕の番号は、Mさんからきいてね」

「はい」

と、答えながら、

部屋で2人きりで会うことは危ないんじゃないか

と、どこか冷静に考えてる自分がいた。

切羽詰まった人が逆上したら・・殺意・・危ないかも・・

(それぐらいギリギリな雰囲気がして仕方なかった)


先生も同じ事を感じていたらしく、

先生「米田さん、部屋で会っちゃ駄目だよ。お父さんをどこか人気の多いところに呼び出してね。世間体があると、冷静になれるから」


先生のその言葉にほっとして

「先生、わたしもそう思っていたので、これから街中に呼び出して話してきます」


先生「今の米田さんなら大丈夫。しっかり話しておいで」


そういって、電話が切れた。


安心と同時に、心がすうっと定まった。

父親に会おう。







衝撃の診察からの、おっきな愛 ②

すぐにメアドを変更し、とりあえず家族全員を着信拒否設定した。


そのタイミングで、車のナンバーを沖縄ナンバーに変更したわたし。


車屋さんからそんな連絡もありながら、気も紛れ迎えたその夜、


携帯電話が鳴った。


携帯を見ると、

画面には

「お父さん」

の文字が表示されている・・


その瞬間、

ぞぞぞぞぞぞーっと血の気が引いた

(はじめて血の気が引くってこういうことをいうのかってのを味わった)


設定がよくわからず、ちゃんと着信拒否設定できてなかった

(という、わたしを個人的に知る方にしてみればよくある凡ミスなんですが 笑)


着信が鳴り止んでから、改めて設定し直そうとするけど、手が震えてうまく押せない


数回息をして、落ち着いて設定しなおす。


すると、着信拒否した相手からかの着信ってのが履歴に残るんですが、


次々に父からの着信が入った履歴が並ぶ。

他の家族からも、弟の奥さんからも着信が入った履歴が表示される。


怖くなって、鍼灸院を紹介してくれたMさんに電話する

「どうしよう、もの凄く着信が入る・・」

M「大丈夫よ、落ち着いて。・・・」

と、その後Mさんがかけてくれた言葉が入ってこなかったけど、話しているうちに落ち着いて、電話を切った。


履歴は残るけど、音が鳴らないぶん落ち着いていられたので、その日は携帯を見ないと決めて眠ることにした。


その翌日は、とあるセミナーで、先生たちにも会える!


そう落ち着かせながらも、不思議だったのは、

何故このタイミングで父親が電話をかけてきたのか。


母親の携帯からかかってくることはあっても、父親の携帯からの着信は、わたしにとって初めてのことだった。







衝撃の診察からの、おっきな愛 ①

まず、はじめに伝えたいのが、

これは、皆さんにこのやり方をおすすめしたくて書いてる訳ではない、ということ。


あくまで、

わたしはこういう経過を辿って生き直しをした

というお話です。


わたしには信頼している相談相手もいて、自己責任の上で起こした行動なので、そこを理解頂いた上でご覧になってくださいね^^


みなさまも、自己責任でお願いしまーす♡


ということで 笑


色々あった診察、処方内容の中でも外せないのが、この診察だった。


とある診察で、

わたしの状態を測った先生

顔が険しい

(あ・・また状態がよくないのかな・・)

と、先生の顔色を伺うわたしに先生が言った一言、


「米田さん、親と縁切りましょうか」


ええぇっ?!

ちょ、ちょ、ちょっと待って

そこまでしなくても・・


と焦るわたしに


先生「いや、縁切ってみましょう。電話番号も、メアドも変えて」

 

「いや、電話番号は変えたくない。色々面倒だから。メアドくらいなら変えてもいいけど・・」


と、まだ決心決めかねるわたしに


先生「うん、じゃあメアド変えてね。で、電話はみんな、着信拒否してね」


と、診察は終了。


一番してはいけないことをしようとしてるんじゃないんだろうか・・

などとドキドキが止まらない。


診察終わりに受付で支払いしていると、

診察室から先生がでてきて、

ぼそっと

「これで沖縄まで会いにくる様な親なら大したもんだよ」

とつぶやいていた。


え?と振り返ると、先生は、わたしの安心できる笑顔で笑っていた。






お母さんへの手紙 〜後日編

手紙を送ったことで、すっきりしていたわたしに、後日、母親から手紙が届いた。

・・返事がきたんだ・・

すぐさま開封し、中身を読んでみると

そんな風に思っていたとは知らなかった
という内容のことが書かれていて、
最後に
「ゴメンね!」

と、書かれていた。

あんなに時間と涙を費やして書いた手紙の返事が
「ゴメンね!」

ゴメンはカタカナで、ビックリマークまでついてる!!

それ見て、またカーッと怒りがこみ上げた。

こんな大変な思いをして決死の思いで伝えたことを、こんか軽く返してくるなんて!!!なんだ、この人は!!!

と、怒りと同時にショックを、受けた。



ってのが、後日談 笑

ちなみに、これから色々書きますが、
現在のわたしは、母親とも父親とも対等に話ができます。
(ちなみに、2人を尊敬できるようにもなってます)

1〜2年前くらいかな、この手紙の事を母親と話したことがあって。
母親からしたら、相当ショックだったらしい。

自分が母親としていたらなかった部分をたくさんたくさん書かれていて、読んでいて辛かった、と。
でも、当時は子育てに必死で、気持ちの余裕も無かった。
そんな過去の事をあーだった、こうだったと言われても、どうしたらいいものか・・と。
ま、そうやって、2人で笑い合ったんです 笑

ただ、ずっと心に押し込めた思いを伝えるのは、わたしに必要な作業だったと伝えると、それも理解していました。

ま、あの手紙の当時はまだ、母親とこんな風に自然と笑ったり、語ったりすることができるようになるなんて、まだ夢にも思わなかったかな 笑

お母さんへの手紙 ⑤

お母さんの手紙 ④で書いたことが、

母親に伝えたいけど、心の奥にフタをしていたことだとわかったわたしは、


当時を思い出しながらそれを一晩かかって書き上げた。


よし、書けたぞ。


早速次の日すぐ先生のところへ持って行った


「どれどれ?おー、書けたねー!」

と先生。


手紙は60〜70枚分くらいになっていたんじゃないかと思う(厚みが1cm近くあった)


先生「これじゃあ、読む方も大変だから、この手紙を短くまとめようか」


まじかよ・・勘弁してくれ・・

まだ何か書くんかい・・・


そんな思いはバッチリ顔に出てたと思うけど 笑

先生はお構いなしに、助手のスタッフさんの手を借りて、O-リングで何枚の手紙に仕上げるか測っている


先生「うん、米田さん、24枚にまとめてみようか!」


うへー・・勘弁してくれ・・


とは思うものの、

手紙は出さないと意味がないでしょ


と言われ、

清書用に便箋を書い、家に帰った。


さぁいざ書こうとした時、

どこからともなく怒りが湧き上がる

(当時先生は、わたしを診察したあと、石垣島だか宮古島に行くと言っていた(月イチで離島の患者さんの診察にと、島へ行っていた)


お前はわたしに更に24枚分も書けといいながら、自分は離島でうまい酒でも飲んでるんちゃうか?!


むしょうに先生に腹が立ち、

手紙を書こうと手にしていたボールペンを真っ二つに追って壁に投げつけ、そのままふて寝した。  


・・・翌朝、冷静になったわたしは ボールペンを拾い 笑

既に書き上げた手紙を見ながら24枚程度にまとめて、そのままポストへ投函した 。


約1ヶ月くらいかかったかな?

長い時間をかけて、自分を取り戻していく中で、大きな一歩だったと思う。


お母さんへの手紙 ④

子供の頃、お母さんっていうのは絶対的な存在で、見捨てられたら生きていけない


つまり、子供は、

命がけで母親に好かれようとしたり、

自分を押し殺してでも、お母さんの願いを叶えようとする


そうやって自分でフタをしたり、押し殺してきたものを持ったまま大人になっても、

そのどこかにやったつもりの気持ちは置き去りにされたまま消えることがない。


そのうち、半ば逆恨みのように

心の中には憎悪みたいなものを隠し持っていたりするんだけど、


絶対的に愛してやまない母親のことを嫌いになったり、憎んでいるなんて

そんな自分が許せない。


そんなこと、絶対に言ってはいけないんだ。


と、心の中にしまい込んでいた

ほんとはこうだったんだ。

ほんとはこうして欲しかったんだ。


たくさん、たくさんの思いを持っていた。

誤魔化し続けるぶん、それはどんどん膨れ上がって 

自分の心のほとんどが

その「満たされない思い」

で満タンになっていた。


そんな心がいっぱいの状態で 

人を思いやったりなんて、出来るはずがない。


そうやってまた自分を責めて・・・


お母さんへの手紙は、ほんと些細なことだったりしたとしても心の奥に押し込めて無かったことにした思いを吐き出す作業みたいなものだった。


お母さんへの手紙③で

先生に誘導されながら思い出した内容は

こういうものだった。


中学生の頃、中に物が挟める下敷きが流行っていた。 

みんな、それぞれが好きなアイドルの雑誌の切り抜きだったり、ブロマイドみたいのを挟んで、自分オリジナルの下敷きを作って、自慢し合ったりするのが楽しみのひとつだった。


ある昼休み、

数人の友達とその下敷きでうちわのように仰いだりして遊んでいた時、

手が滑って、自分の下敷きがRちゃんの顔に当たり少し傷になったか何かだった。


当時のわたしは「謝る」ということができず、

(自分の非を認めてしまったら、取り返しのつかないことになるんじゃないかという、一種の強迫観念みたいなものがあった。いつも、悪いことをすると大変なことをしたと怒られていたから)

逆に、大変な事をしでかしてしまったという恐怖で逆に傷つき

(そこから家に帰るまでの記憶がないほど)

家に帰って、母親に懺悔するような気持ちでそれ(友達の顔を傷つけた)を伝えた。


すると、母親の顔がみるみる豹変し、

「何てことをしたんだ!謝ってきなさい!」

と言って背中を向けられた

(単純に、夕方でご飯の支度をしていただけ、と今はわかるけど、当時のわたしはその仕草すら見捨てられたように感じた。それ位、怯えていた)

・・とんでもないことをしてしまったんだ、わたしは・・・


家を飛び出し、

Rちゃん家の近くまで行くけど、

怖くてピンポンが押せない


だんだん外は暗くなりはじめる・・


どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・


迷った挙句、Rちゃん家からほど近い公衆電話から電話をかける


プルルルル・・プルルルル・・

(はぁ、どうしよう、どうしよう)


「はい、もしもし」

Rちゃんのお母さんが電話に出た。

名前を告げ、Rちゃんに代わってもらうようお願いする


「はい、もしもし?」

Rちゃんだ。


「あの・・今日の昼休みに・・」

だんだん涙が溢れてくる・・

「ごめんなさい!」


「あ、それ?大丈夫だよー!」

と、わざわざ電話してきたんだーなんて感じで電話が終わった。


ようやくわたしはその事が許された!!

早くお母さんに報告しなきゃ!


もう辺りは真っ暗だった。

猛スピードで自転車をこぎ、家に帰ると


怖い顔したお母さんが待っていた

「こんな遅くまでどこに行ってたんや?」


わたしは自分で謝ってきた!と褒めて欲しくて話し始めると


「そんなことはいいから、早くご飯食べなさい!」

と、話を遮られた


・・あんなにがんばってやり遂げたのに・・

お母さんにとっては「そんなこと」なんだ・・

やっぱりわたしのことなんて、どうでもいいんだ・・


いつもお母さんに愛されたい!と心が満たされてないまま過ごし、

自己重要感なんて空っぽのカラカラのわたしにとって、

「そんなこと」

と片付けられたことはものすごく悲しいことで、絶望的なことだった。