米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

お母さんへの手紙 ④

子供の頃、お母さんっていうのは絶対的な存在で、見捨てられたら生きていけない


つまり、子供は、

命がけで母親に好かれようとしたり、

自分を押し殺してでも、お母さんの願いを叶えようとする


そうやって自分でフタをしたり、押し殺してきたものを持ったまま大人になっても、

そのどこかにやったつもりの気持ちは置き去りにされたまま消えることがない。


そのうち、半ば逆恨みのように

心の中には憎悪みたいなものを隠し持っていたりするんだけど、


絶対的に愛してやまない母親のことを嫌いになったり、憎んでいるなんて

そんな自分が許せない。


そんなこと、絶対に言ってはいけないんだ。


と、心の中にしまい込んでいた

ほんとはこうだったんだ。

ほんとはこうして欲しかったんだ。


たくさん、たくさんの思いを持っていた。

誤魔化し続けるぶん、それはどんどん膨れ上がって 

自分の心のほとんどが

その「満たされない思い」

で満タンになっていた。


そんな心がいっぱいの状態で 

人を思いやったりなんて、出来るはずがない。


そうやってまた自分を責めて・・・


お母さんへの手紙は、ほんと些細なことだったりしたとしても心の奥に押し込めて無かったことにした思いを吐き出す作業みたいなものだった。


お母さんへの手紙③で

先生に誘導されながら思い出した内容は

こういうものだった。


中学生の頃、中に物が挟める下敷きが流行っていた。 

みんな、それぞれが好きなアイドルの雑誌の切り抜きだったり、ブロマイドみたいのを挟んで、自分オリジナルの下敷きを作って、自慢し合ったりするのが楽しみのひとつだった。


ある昼休み、

数人の友達とその下敷きでうちわのように仰いだりして遊んでいた時、

手が滑って、自分の下敷きがRちゃんの顔に当たり少し傷になったか何かだった。


当時のわたしは「謝る」ということができず、

(自分の非を認めてしまったら、取り返しのつかないことになるんじゃないかという、一種の強迫観念みたいなものがあった。いつも、悪いことをすると大変なことをしたと怒られていたから)

逆に、大変な事をしでかしてしまったという恐怖で逆に傷つき

(そこから家に帰るまでの記憶がないほど)

家に帰って、母親に懺悔するような気持ちでそれ(友達の顔を傷つけた)を伝えた。


すると、母親の顔がみるみる豹変し、

「何てことをしたんだ!謝ってきなさい!」

と言って背中を向けられた

(単純に、夕方でご飯の支度をしていただけ、と今はわかるけど、当時のわたしはその仕草すら見捨てられたように感じた。それ位、怯えていた)

・・とんでもないことをしてしまったんだ、わたしは・・・


家を飛び出し、

Rちゃん家の近くまで行くけど、

怖くてピンポンが押せない


だんだん外は暗くなりはじめる・・


どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・


迷った挙句、Rちゃん家からほど近い公衆電話から電話をかける


プルルルル・・プルルルル・・

(はぁ、どうしよう、どうしよう)


「はい、もしもし」

Rちゃんのお母さんが電話に出た。

名前を告げ、Rちゃんに代わってもらうようお願いする


「はい、もしもし?」

Rちゃんだ。


「あの・・今日の昼休みに・・」

だんだん涙が溢れてくる・・

「ごめんなさい!」


「あ、それ?大丈夫だよー!」

と、わざわざ電話してきたんだーなんて感じで電話が終わった。


ようやくわたしはその事が許された!!

早くお母さんに報告しなきゃ!


もう辺りは真っ暗だった。

猛スピードで自転車をこぎ、家に帰ると


怖い顔したお母さんが待っていた

「こんな遅くまでどこに行ってたんや?」


わたしは自分で謝ってきた!と褒めて欲しくて話し始めると


「そんなことはいいから、早くご飯食べなさい!」

と、話を遮られた


・・あんなにがんばってやり遂げたのに・・

お母さんにとっては「そんなこと」なんだ・・

やっぱりわたしのことなんて、どうでもいいんだ・・


いつもお母さんに愛されたい!と心が満たされてないまま過ごし、

自己重要感なんて空っぽのカラカラのわたしにとって、

「そんなこと」

と片付けられたことはものすごく悲しいことで、絶望的なことだった。