米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

お母さんへの手紙 ③

体調も落ち着いてきて、だいぶ書き溜めたので、久々に鍼灸院へ持って行って何パーセントか測ってもらうことに。


先生「お!米田さん、がんばってるねー。じゃあ測ってみようか・・・」


と、いつものように助手の人の手を使って、パーセンテージを測って行く


しばらく考えこむ先生


先生「米田さん、あのね、何か書きたいことがあるみたいだよ。心当たりある?」


手紙には散々

あの時はこうして欲しかった

あの時、わたしはこう思った


って自分の中に握りしめていたものを書いたつもりだったが、まだ何かあるの?


もう、わかんないよー!!!


と思ったけど、先生はわたしを観ながらあーなんじゃないか?こうなんじゃないか?と測っていく


先生「じゃあさ、ヒントだすね、中学生の時、何かなかった?」


中学生?

なんだなんだ?


「何かキーワードになる子がいるなぁ・・」

(本人は誤魔化したりしてたけど、先生はちょっと見えないものが視えたりする)

 

「えー?中学の時なら・・Rちゃんと仲良かった」


先生「そう!その子!! その子にまつわる事で何か無かった?」


「え?Rちゃん? 

何だろ?えー?わかんない・・」


先生「米田さん、考えを止めちゃダメだ!その先だよ!その先!」


「先生、わからない・・」


先生「わかってるよ。心は知ってるって言ってるよ。その先だよ、思考を止めないで、その先だよ」


「あぁ、わからない!」


先生「その先だよ」


先ってなんだよ!!!どこだよ!!!

えー、待って・・何か・・重いフタみたいのがあって・・んー・・その先がわからない・・


先生「そうそう!そこ!何があった?」


「待って!思い出せない!」


先生「待ってとか言って止めないで!その先だよ」


・・・ふと、昔の出来事を思い出す

「先生、これ?(頭ん中でイメージしてみる)」


先生「そう!それだ!!米田さん!まだ、書けていないのはそこだ!!!」


呆然として、よくわからなくなるわたし


え?これの何が?


先生「じゃあ、そこが書きたいところだから、そこ書いたらまたおいで」


そう言って、笑顔で送り出してくれた先生。


そこの何が言いたいんだろう?

とりあえず、帰ったらまた続きを書いてみるか・・


と、よくわからないまま、家路に着いた。


お母さんへの手紙 ②

いざ、手紙を書いてみようとはするものの、まったく筆が進まない。


怖いような、悲しいような気持ちになって、涙も止まらない。

 

どうにもこうにも困って、先生に相談しに行ってみた。


「先生、何て書いていいかわからない」


先生「何て書いていいかわからないってのも、書いたらいいさ」


「でも進まないんです・・・」


先生「んー、じゃあさ、言いたい事の何パーセント書けたか、その都度測ってあげるから、とりあえず書いておいで」


と言われ、

言われた通り


何て書けばいいかもわからない

どうしていいかわからない  


って事も書きながら、母親対して持っていた思いを書いていった。


ある程度の枚数を書き上げ先生のところへ。


「(O-リング使って測りながら)んー・・・まだ12%位しか書けてないなぁ・・」


また次の時は

「んー・・・まだ23%」

「んー、26%」


と中々書き進まない。


書いてるうちに、発熱して、喉も痛い・・体調ボロボロ・・


仕事も休み、しんどくて動けないので

鍼灸院に電話してみると


「46%!だいぶ書けてきたさ!!体調悪いのは身体が嘘ついて書かせないようにしてるだけだから大丈夫だよ。がんばれ!そのまま書き続けて!!」


先生に励まされ、

手紙には言葉を変えて同じ様なことを書き綴っていたけど、少しずつパーセンテージが増えていくのを励みにまた一つ、一つと書き続けていった。


手紙を書き始めてから数週間経っていた。


お母さんへの手紙 ①

とある診察の日、
診察室に入ると
先生が意気揚々としているのがわかる。

診察に入ると、
いつもは自分の状態をはかりながら処方の本を見つけていくのに 
この日はもう処方されるものが決まっている感じだった。

処方の内容は、
「お母さんに手紙を書く」

なんでも、
診察に来たとある患者さんがどこかすっきりしているのがわかり、何をしたか聞いたところ、
その方が自分の母親に対して言いたいことを手紙に書いて渡したんだそう。
(当時、健康セミナーやら何やらで患者同士の交流もあり、診察内容をシェアしあったりもしていた)

これは他のみんなにも有効なんじゃないか?

と、診察の時にO-リングで測れるように札が作られていた。

案の定、わたしにもあてはまった。

「お母さんに対して思っていることを手紙に書いて送る」

今のわたしには何てことはないこの作業だけど、当時のわたしには

そんなことしてもいいんだろうか?
大変なことになったらどうしよう?

と、ただただ恐怖だった。

「とにかく思っていることを書いてみたらいいさ」

そして、

「書いたら、ちゃんと書けてるかチェックするから、持ってきてね」


と言われ、診察は終了。

仕方なく、書いてみることになった。


幸せ恐怖症

「なぜ、白雪姫は毒リンゴを食べたのか」(岩月謙司さん著)


の本に出てくる言葉、

''幸せ恐怖症''。


幸せになるのが怖い

だから、1番望むものではなく、2番目、3番目をにいいなぁと思うものを望んでしまう


ということが書いてあったはず。


一度、処方されて読んで

全く理解できず、

診察の時々に何度も処方された本。


その度ごとに、理解を深めていった

つまり、自覚していくわけ。


そこで登場するのが、母親の存在。


家を不在にする事が多い父と結婚して、

父親の実家に暮らして、じいちゃんばあちゃん、近所の親戚から色々言われたり、

苦労しながら私たちを育ててくれてるかわいそうなお母さん。


そんなお母さんより幸せになってはいけない


という、呪い。

(当時は''親にかけられた呪い''と認識していますが、今は''自分への呪い''という勘違いだとわかっています)


母を差し置いて、自分が幸せになるなんて、わたし(自分)が許さないわけです。


だから、変な恋愛(本当に好きな人じゃない、まぁまぁいいんじゃないかって人と付き合う)したり、

自分の本音を押し殺して、誤魔化しすぎて、わからなくなっている状態

な、わけです。


診察では、その後、この本の他に

信田さよ子さんの「母が重くてたまらない」や、「さよならお母さん」

また、

加藤諦三さん著の「不機嫌になる心理」「自分を嫌うな」

先に書いた岩月謙司さんの本(たくさんあるのでタイトルは割愛します)


などをたくさん処方され、

自分が何を握りしめて生きているのかを自覚していくのです。


この頃、本を読みながらたくさんほっとしたり、時に苦しくなったり

たくさんの涙を流したのを覚えています。


自分を知る、大事な作業が続いていました。


診察初期のころ

大好きだった彼と別れることがきっかけで

東洋鍼灸院に通うことになったわたしですが、


当時は結構夜遊びしたり、

大して好きでもないけど、好意を持たれると嬉しくて付き合ったり・・


と、まぁロクでもなかったんです 笑


圧倒的な自己重要感のなさからと劣等感からくる、共依存っ子


何より

「こんなわたしが望みなど口にしてはいけないんだ」

という恐れ(なのに、よく沖縄には移住できたもんだ!とよく思う 笑)


で、それからくる

「言わなくても気づいてほしい」

という卑怯さもあいまって

(相手は神様か?!笑)


イライラ、フンフン

と不機嫌爆発しながら

生きていた。


だいぶ後で知ったんだけど、

初めての診察で先生がO-リングではかりながら書き込んでいたカルテには

人の全身の絵が書かれていて(身体の前と裏の絵がある)、

初期の頃のカルテは

全身が真っ黒に塗り潰されていた


ノルアドレナリンという、イライラホルモンと、

ドーパミンという依存に関わるホルモンを

全身に纏っていたわたし 笑

(わたしは医学的知識はないので、この辺りは完全に記憶を頼ってます、あしからず)

 

診察に行っては

「んー・・・」

と唸られ 笑


まぁそれでも先生はあの手、この手で言葉をかけてきたり、手に本を置いてその時のわたしに合うか診察してくれるわけです。


診察中、ふとした時、

例えば、診察終わって診察室から出て行こうとカゴから鞄を取る時

みたいな時にボソッと

「またへんな男捕まえて」

とか小声で言ってくるわけ 笑


当時はその度に、

どこかで

「あ、バレた・・」

と思い、途端に付き合ってた相手に興味がなくなり会わなくなる


を繰り返したり。


一種の自傷行為だよね

ビビりなのと、どこかで「これ以上は無理」って限界を知ってたので犯罪を犯すようなことはできないんですが、

自分を大切にするってことが、「悪、わがまま」と思っていた当時のわたしは、

自分を大事に扱ってくれない人や、卑怯な人と付き合い、自分を傷つけ、そんな自分に傷つき、自分を嫌い続けるのに一生懸命でした。


でも、魂はわかってるんだよね

そんな事が自分の本当の望みではない

って。

だから、嫌い続けるのも一生懸命な反面、鍼灸院に通い続けていた。


鍼灸院に行くことで

「月に一度の息継ぎ」

みたいな状態だったのです。


長い診察の日々

お久しぶりです! 笑

タイトルは「長い診察の日々」としたのですが


久々になってしまったのは・・・

過去の事、全てをそんなに精密に思い出せないー!!!笑


たくさん処方で出されていた本やCDは、断捨離してたくさん捨てちゃったし

先生が定期的に開催してた「健康セミナー」の時に書いたノート(わたしはメモ魔なので、すごく事細かに書かれていた)も、断捨離で捨てちゃった 笑


なので、次の記事からは

''印象に残った診察内容''

を紹介していきますね。


時系列も前後するかもですが、

人ひとりが生き方を変えて、自分らしさを素直にだせるようになるまで

どんな作業をしたのか?


を、展示していきたいと思っています^^


常識とかいう概念取っ払って

お楽しみくださいね!笑

毎月、診察通い

はじめての診察以降、

月に一度の鍼灸院通いがスタートしました。


処方される本を読んでも

はじめのうちは全く頭に入らず。


でも、人の身体(心?)ってすごいもので、

よくわからない部分が

ほっとするような感じと、

自分が思いもしない事を言われても

「ふん!もうあそこへは行くもんか!」

とならなかったのは、不思議だなぁと思うのです。


当時のわたしは、

ひねくれすぎていて

心がひん曲がっていたけど、

ありがたいことに

身体はいつも素直でいてくれた。

(先生にも「米田さんは素直じゃないけど、あなたの身体はいつも素直でいてくれてますよ」と言われたなぁ)


本を読んでは泣き、

診察で泣きすぎて過呼吸になり、

鍼灸院のトイレの前で、コンビニのレジ袋を口にあててスーハーやったりもしてました 笑


「はい、米田さんまた過呼吸になったねぇ。○○さん!(スタッフ)袋持ってきてー。トイレのとこ、連れてってあげてー」

と、いった具合でね。


ある時なんて、

症状が悪すぎて

「今日は鍼と灸をやります」

と言われ(これ、かなり珍しい)

手の甲は鍼をたっぷり刺され、

手の平に灸してもらう。


途端に心がほぐれだして

涙が出てくる

両手の手首から先が動かせないわたしに、

スタッフの方がティッシュで顔を拭いてくれる。


お灸が終わると

「しばらくこのままでいてね」

と、鍼を刺されたままじっとすることに。


泣いていたわたしに

「ここにティッシュ置いときますね」

と、ティッシュを手の届くところに置いていてくれるんだけど、

わたしの手は鍼だらけで

ティッシュがつまめず。

結局、顔ぐしゃぐしゃで、鍼がたっぷり刺さった手をテーブルに乗せてる状態


なんて、こともあったり 笑



心の中に

たくさんたくさんの

我慢を溜め込んでいたわたしは


たくさんのみっともない姿を晒しながら


それでも

今までになかったような

大きな安心と

''こうするのが当たり前"ってくらい、

何の迷いもなく

鍼灸院へ通い続けたのです。