米田博物館

展示物はわたしです❤️ どうぞ、ご覧になって行ってください😊

沖縄移住へ ②

前回のブログで紹介したように、

''生まれた場所は選べないけれど、
生きていく場所はじぶんで選べる''

の生きていく場所として、
「沖縄に住みたいんだ」
という自分の本心を知ったわたし。

でも、20何年もの間、実家に暮らし、

高校の修学旅行では
体調崩したついでにホームシックになったくらいだから 笑

『わたしはこの家を出て沖縄で暮らせるんだろうか?』

という疑問がわいてきた。

そんな疑問がわいてすぐ、
会社で発表があった。

1人ずつ上司に呼ばれ
「新製品立ち上げの為、前例のない大掛かりな研修を行う事になった。正月休み明けから2月いっぱい、茨城県にある工場に出向してほしい」
というものだった。

今思うとわたしの人生は、
臆病なわたしに優しくできているなぁと思うんだけど、
仲良しの同期や、同じラインの人達と大勢での長期出張だった。

そこで、修学旅行さながらに
ワイワイと出張へ向かい、
しばらくのビジネスホテル暮らしになった。

出張期間の後半、
原因不明の体調不良になり、数日会社を休んだ。

ビジネスホテルの部屋に閉じこもりながら
自問自答。

こんな風に実家を離れても大丈夫な自分を何度も何度も確認して、

2日目の昼過ぎ、心が定まった。

「うん、わたし、実家でても大丈夫!」
と。


ちょうど、その決意ができたのが金曜日。
(土日祝休みの仕事だったから、翌日休み)
仕事から帰ってきた同期たちと、その日焼肉を食べに行き、お酒の力を借りて移住のことを伝えた。

そこからは、貯金の日々。
沖縄移住の気持ちを知る前に新車を買っていて、足りないお金は父親から借金していた。

それを全額返す、プラス移住の資金が必要。

就職してからもいただくお給料やボーナスは都度都度きれいに使い切ってばかりのわたしなのに貯金はできるんだろうか?

と一瞬よぎりもしたけど、

行動しだしたら止まらない。

そこからは、
出張手当てで勢いをつけて、
仲の良かった課長にも相談して、
ライン作業じゃない業務(書類作成のお手伝いとか、とにかくずっとシュレッダーするだけとか)でたくさん残業させてもらい

必要最低限友達とも遊んだけど、
大好きな服を買う回数を減らし、なんやかんやでものすごい速さでお金が貯まっていった。
(あれはいまだに奇跡としかいえない 笑)

沖縄移住を家族に伝えたら、大反対!

父親は聞こうともしない。
しかも、追い討ちをかけるように移住を決めていた数ヶ月前に祖父が亡くなり、
それをきっかけに父は家族について改めて思うものがあるらしく、
反対は激化!笑
(今となっては笑い話だけど、当時は怖い父が全力反対するのは怖い以外のなにものでもなかった)

でも、あの元彼と別れた時に知った
「沖縄に住みたい」
の気持ちは揺らぐことはなかった。

住みたい理由がないけど
「住みたい」という間違いない思い(直感の核心、みたいな?)。

淡々とお金を貯め、
淡々と移住の準備を進め、
とある年の11月某日、
沖縄行きのフェリーに乗った。

当日の朝、大雨が降っていた。
朝早めに目覚めてリビングに行くと、
一睡もしていないのか、
目を真っ赤にしてじっとテレビを見つめる静かな父がいた。

「今日、出ていきます。お世話になりました」

と伝えると、
財布からちょっと束になったお金を差し出し、わたしな持たせた。
「これが増えるようにするんやで」
といい、仕事に出ていった。

父の車を見送ろうと大雨の中、外に出ると
わたしがいるのは見えていたはずだけど、
こちらを見ることなく
まっすぐ前を向いて運転する父の車が遠ざかって行った。

それからしばらくして、荷物をたくさん積んだ車に乗り込み、フェリー乗り場へと出発した。

雨はあがっていた。